ここでは、PTA広報で経験したことを綴っていきます。管理人の環境があれこれ変わったため、バタバタしておりました。久しぶりの更新です!
PTAの組織をなくしてもPTA紙はなくせない
新型コロナ感染症がきっかけで”PTA組織そのものがいらない”という声が強まりました。
今はアフターコロナで学校行事も少しずつ回復してきています。
学校行事やPTA行事がこれだけ中止になったのですから、組織はあってもなくても同じかもしれません。
個人的な意見にはなりますが、組織はなくせてもPTA新聞はなくせないと思っています。
学校は学校通信を通じて子どもたちの様子を伝える新聞を発行します。
学校や先生方の考えは?保護者の声は?どこに伝えたらよいのでしょうか。
唯一の窓口がPTA新聞
そこで唯一の窓口になるのがPTA紙です。
残念ながら現状では広報も潰してしまえという書き込みが多いです。
PTA紙なんて手間がかかるだけで、面倒だと思うからでしょうね。
新聞に限らず”やらされる感”満載だといくら時間をかけてもPTA新聞はいいものにはなりません。
PTAの委員といえば、くじ引きで当たっていや~なオーラ全開にして参加された方も多いのでは?子どもでもそうですが、”やらされる”とわかったらよい結果にはつながらないものです。
どうせPTA新聞を書くなら、楽しまないと損です。
収束こそしていませんがアフターコロナでPTA新聞だけでなく、PTA活動そのものが見直されています。
PTA新聞も紙面での発行をやめ、ホームページ上での公開に切り替えたりPTA新聞そのものを廃止にしたりしている学校が増えています。
情報が保護者に伝わらなかったら、PTA会費なんて余計に払っていられない!と思いませんか。
総会や広報誌で情報がおりてくるからこそ、難しくても継続していく必要がある活動だと考えています。
保護者と先生方の意見の場所
先生だって、意見したい。
長年、PTA新聞を担当していて感じたのは、保護者や先生方の意見の行き場がないことでした。
世間ではPTA活動に制限がある今、”PTAの組織そのものがいらない説”がささやかれ、
”やりたい人だけでやればいい”とかなり多くの方が叫んでおられます。
正直、今さら大所帯になるのは私個人も避けたいところです。
まとまるものがまとまらないし、賛成の人ばかりではないので話し合いの時間だけが過ぎていきます。
理由は簡単、みなさん”やりたくないのにやっている”のがわかるからです。
新聞のネタを探しているのに、ネタどころではなくなるのも、貴重な時間を費やして顔を出している人にしたら、たまりませんね。
新聞を書く側として、管理人も困ります。
幸いまったくどうにもならなかった年がなかったので形になりましたが、委員会に顔を出すのが面倒なのか、ボランティアで新聞を作成するのが面倒なのか。
両方なのかな、おそらく無報酬で”何かをしなくちゃいけない”と思った時点で嫌なのでしょう。
PTA新聞の振り分け作業のときに、「どうしてPTA紙を書こうと思ったんですか?」と尋ねられたことがあります。
「伝えることが好きだからでしょうねぇ~」と答えました。
PTA新聞を通じて反応が返ってくるのが楽しい。
手に取って読んでくれる誰かに、みんなの思いが伝わったら素敵じゃないですか?
何度も言いますが、新聞づくりで”やらされる感”があるといいものにはならないです。
誰が何と言おうと、楽しいから続けているんです。
保護者や先生方、地域の考えを伝えたい。
子どもたちの反応を知りたい。
地域の方や、先生方も配付されるのを毎学期待ってくださっていて声をかけられます。
Wordやillustratorがまるっきり使えなくて、印刷データの扱いもわからず時には
印刷業者から”そんなことも知らないのか!”と言われながら、ゼロから勉強しました。
そうしてでも伝えたかったんです。
学校の環境や、子どもたちの学校生活に影響すると思うから。
仕事の合間に取材だし、配付するまで印刷のスケジュールを常に気にしながらの作業ですが
自分が知らない話を相手から伺えるのが楽しくて仕方がありません。
PTA紙もなくしてしまったら保護者や先生方からの意見の行き場がなくなるだけだし、
それでもいいのかなぁ~と書き込みを見るたびに思います。
学校ととことん話すことが大事!
書きたいテーマが決まったら、学校ととことん話し合いをすることが大事です。
PTA新聞の内容は、学校とPTAの承認があって成り立っています。
(つまり、私が今まで担当してきた広報誌は”委員さんや学校ととことん話し合った結果”なのです)
PTA広報誌の内容は、その年の広報委員さんと雑談の中でテーマを決めていきます。
3学期分のテーマを大まかに決めておけば、何を書こう?と迷う必要がありません。
新しく見つけ出すのが苦手なら、3学期で完結するようシリーズ化してもよいと思います。
ある程度テーマと内容の方向性が決まったら、とことん話し合います。
この”とことん”が大事。
少しの思い違いやずれが文章に出ると誤解を招きかねないからです。
委員さんの言い分、学校側の意向、専門家の方々のご意見。
どれも欠けてしまうと、なんともアンバランスな内容になってしまいます。
一度形になってしまえばラクなんですが、そこに行き着くまでが大変かもしれませんね。
毎回、PTA新聞を発行するために根気強く話を聴いてくださる先生方に感謝です……。
はじめから理解があったわけじゃない
今だから話せる(書ける)のですが、はじめから私が思い描くPTA新聞に対して学校側の理解が最初からあったわけではありません。
「今のPTA活動をどう思う?」というアンケートに対し、「こんな内容を掲載されたら、翌年の委員のなり手がなくなる!」と言われたことがありました。
よく考えてみると、PTA活動に対してかなりネガティブなイメージがあったからこその言葉なんですね。
こちらとしては、保護者の心の内=ホンネを載せたかったわけです。
話を通そうにも、キャッチボールができない。
ぽーんとこちらから投げてもはじき返されていました。
現状を知ってもらうことで活動への理解を深める意味もありましたが、管理人が本当に伝えたかったのは「PTA活動の根本的な見直しが必要だ」というメッセージでした。
アンケートの結果100%の掲載は叶いませんでしたが(校正の時点でかなり削られていた)、部分的に載せることはできました。
その結果が広報紙コンクールの入賞です。
ええ、何が言いたいのか……?
見る人はちゃんと見てくれている…保護者の考え(本音)を求めるPTA新聞が認められた瞬間でした。
この出来事があってから、少しずつPTA新聞への認識が変わっていったように思います。
求められるPTA紙へ
「紙面だから何度も手に取ってみたくなるんですよね……」
管理人にとって、最高の誉め言葉です。
構成で納得いかず何度もやり直して良かった!あれこれ考えぬいてできたものに対してはなおさらです。
技術的には素人レベルのものではありますが、伝えてほしい内容を話してくださる方が増えました。
おかげで特集ネタにも困らなくなり、コロナ禍でも関係ありませんでした。
取材の制限がある中で、学校や地域の方の理解があり本当にありがたかったです。
ここからは、とある日のお話です。
桜があまりにきれいに咲いていたので、許可をいただいて撮影していると地域の方がいっしょにスマホで撮影を始めました。
お話をしていくうちに、同級生の親御さんであることがわかり家に呼び出しに行った親御さんが同級生を連れてきてくれました。
おかげで小学校卒業以来の再会、プチ同窓会で小学生当時のことをたくさん話しました。
これも何かのご縁なのでしょう。
同級生にPTA誌を担当しているという話をしていたら”PTA新聞を見てみたい”と言ってくださって、地域の方用に置いてあるので、ぜひご覧くださいとおすすめしました。
まとめ
PTAの組織をなくしても、何らかの形で残ると思います。
広報誌は保護者や先生方の意見を発信できる、唯一の窓口です。
PTA新聞は学校ととことん話をして、キャッチボールすることが大事。
人と人がつながっていく。
PTA新聞を担当していなかったら、このご縁はなかったかもしれません。
これからも楽しみながら、求められるPTA新聞をつくっていきたいと思います。
➡ PTA新聞を楽しもう!~その5~へつづく